ぷち郷土史、つづき

前回のつづきです。
宿場町だったのは前回の通りですが、調べてみると奥州街道の他、奥羽街道、相馬道の交差する宿場だった。今ならちょっとしたターミナル駅のような場所だったのだろう。調べて行くうちに、子供の頃に古銭を拾った事を思い出した。ちょうど奥州街道と相馬道の交わるあたり。よく通る道だったんだけど、そこで拾った。そのあとどうしたか全く覚えてないが、子供ながらにも一目でそれとわかる古銭だった。(銭形平次が投げてるようなやつ)なぜこんな所にと不思議な気分になったのを覚えている。なるほど街道筋なら、それも納得。
落とし主とヤスダ少年の間には100年以上の時間が横たわっていたわけだ。


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