実家のある町は、昔は宿場町だったらしいという話は地元ではいつの間にか身につく基礎知識。
そうは言っても実際にどんなだったかというのは、知っている人はあまりいない。ちょっと調べてみると、江戸期には確かに奥州街道の宿場町だったらしく、かなり繁栄してたらしい。いまじゃ、面影はないけど、言われてみれば今だに屋号で呼ばれている家とかある。町の規模にしては神社も多い。戦国時代にはお城もあって、独眼竜政宗で有名な伊達家の出城があった。城主は伊達実元。伊達政宗からみると、叔父に当たる人物。武将としては実元より伊達政宗の重臣として活躍した嫡男の成実の方が有名。
城址には小学校があって、そこに通ってました。小学校の裏山にはよく登ってたけど、どうやらあの山のてっぺんが本丸だったらしい。登ると遠くまで一望できて、眺めがよかったのを覚えてる。今考えると、正面は街道すじで二本松方向が見渡せていたから、当時としては防衛の拠点、国境の争いの最前線だったんだろう。ちなみに、この成実、その後は仙台潘の亘理伊達氏の初代当主なってます。亘理って聞いた事ないですか?先日の震災で大きな被害を受けた宮城県亘理町です。歴史と現代はつながっているねー。